日本におけるドイツ労働法研究に欠落しているもの-マイノリティーの繰り言

野川 忍(明治大学法科大学院教授)

 以下に述べるのは、日本におけるドイツ労働法研究において完全に「欠落」してきた領域に関心を持ち続けてきた一人の「マイノリティー」の繰り言である。

 「労使自治など機能していないのだから、その強化を重視するのは間違っている!」。あるときの労働法学会大会でのシンポジウムで、今後の日本の労使関係につき、私が「さまざまな政策対応も必要だが、やはり労使自治の強化が不可欠ではないか」と発言した折、3人の会員が次々と批判の刃を向けてきたことを今も思い出す。労働弁護団の幹部、労働法学会の元代表理事、若手会員のホープ… いずれも、ドイツ労働法に造詣の深い方々で、その主張の背景に、ドイツ労働法に対する特定の理解が垣間見えた。

 批判の対象となった私は、反発を覚えるよりも、むしろドイツ労働法に関する日本の主流派の考え方と、自分の基盤とがいかに異なるかを痛感させられた次第である。

 私がドイツ労働法を専攻して大学院で研究生活を送っていた1980年代、日本の学界は、まだまだマルクス主義の影響力が強く、労働法学会の大御所たちも、労働組合の機能強化とその活動の法的サポートを当然のことととらえ、ドイツ労働法制の根幹をなす協約自治(Tarifautonomie)とは、労働組合による労働関係のコントロールであるかのような見解を共有していた。

 私のドイツ労働法研究に対する理念基盤には、このような日本の状況への強い違和感と、わずか2年弱ではあるが実際に滞在して研究生活を送ったドイツの現場での実感と、日本におけるドイツ労働法研究の主流との、乖離の発見であった。

 周知のようにドイツ労働法には、協約自治と並んで、「共同決定」(Mitbestimmunng)というもう一つの基幹的理念があり、それは企業レベルでは共同決定法(Mitbestimmungsgesetz)に、事業所レベルでは事業所組織法(Betriebsverfassungsgesetz)に具現化されている。しかし、この共同決定システムの淵源に、19世紀ドイツにおいて激しく展開された、主としてカトリック社会派の聖職者や経営者・労働者らによる労働問題への組織的取り組みがあったという事実については、日本ではその研究が「不足」ではなく「欠落」している。
   幸い、最近になって濱口桂一郎労働政策研究研修機構労働政策研究所長が、「働き方改革の世界史」において指摘して(「カトリックの労働思想」、92頁以下)ようやく注目されるようになったが、日本でもドイツ経営学の世界では、ドイツカトリックの、近代的労使関係法制への貢献は当然の前提とされてきた(「ドイツ経営政策思想」(森山書店、1981年)等)。「欠落」は、日本におけるドイツ労働法研究の世界の特質なのである。

 実際には、1848年3月革命から1951年共同決定法制定までのドイツの労使関係法制史は、カトリック勢力の寄与を抜きにしては語れない。
   マルクスは、エンゲルスにあてた手紙で、ドイツにおいては自分の思想が労働運動にほとんど影響を与えておらず、むしろカトリックの労働運動の隆盛にいらだちを見せ、「カトリックの坊主どもを徹底的にやっつけねばならない」とまで口走っていた(K.MarX und F.Engels, Werke, Bd32, Berlin-Ost 1965,S371)が、まさにカトリックの僧侶や運動家たちによる、労働者たちの連帯の支援は19世紀後半のドイツに広範に広がっており、特に1890年のビスマルク失脚後には大きく発展した。
   同年2月4日に皇帝ヴィルヘルム二世が発した「「2月勅書(Erlasse)」には、「私は政府に対し、経済的弱者への配慮を、キリスト教の伝統の中で採用し、同じ方向に向けて、法案の検討をしてほしい。」と述べ、「労働者が代表を通して共同体の事柄の規制に参加し、自分たちの利益の実現のために使用者と交渉し、私の政府に権限を与えることが想定されねばならない。」との明確な方針を明らかにしている。
 これを受けた1891年の改正営業令による労働者の就業規則制定への関与、1916年の祖国防衛奉仕令の制定、1920年の事業所委員会法の制定、そして何より1951年の共同決定法の制定には、カトリック教会は、議会では主として中央党の活動を通し、また社会的にはまさに具体的な労働者の連帯活動(カトリック労働者連盟、キリスト教労働組合、カトリック国民協会など)を通して、中心的な役割を果たしていた。
   1891年改正営業令の制定にあたっては、営業条例の改正に関する特別枢密会議の議長は、カトリック労働運動の指導者のひとりであった神学者のフランツ・ヒッツエ(Franz Hitze)であったし、1951年の共同決定法制定には、1949年のカトリック教会の全国大会における「ボッフム宣言」が、ドイツカトリック教会の一致した要望として共同決定法の制定を明確に政府に求めたことが決定的な影響を及ぼしたことは周知の事実となっている。
 さらに、1891年のレールム・ノヴァルム以来、教皇が発する回勅はたびたび労働者の保護と労使自治の活性化を促してきた。特に緊迫した世界情勢の中で発せられた1931年の教皇ピウス11世による回勅「クアドラジェジモ・アンノ」では、国家の社会政策の最重要課題として、労働組合と使用者団体の形成をあげ、特に労働組合には国家による正当な法的地位が与えられるべきであると強調している。

 冒頭の、労働法学会での筆者に対する批判に戻ろう。筆者がきわめて遺憾に思ったのは、日本においてドイツ労働法の専門家を自認する研究者たちのほとんどが、上記のような事実を全く知らず、ドイツの労働法制史と労働運動史におけるキリスト教、特にカトリックの理念的・実践的意義を完全に「欠落」させたまま、ドイツ労働法の特質を十分に理解したような意識を持っていることである。

 キリスト教の影響がドイツ労働法を形成している、などとは、筆者は毛頭考えてもいない。そうではなく、キリスト教の明らかな、また重要な影響を、完全に「欠落」させたまま進められてきた日本のドイツ労働法研究のゆがみを指摘しているだけである。

 マイノリティーの悲哀は世の常である。ドイツ労働法を曲がりなりにも研究対象としてきた者として、この「欠落」を埋める作業を進めていきたいと思う。

(2022/11/30)