私とドイツ労働法

                          西谷 敏(大阪市立大学名誉教授)

 ドイツ滞在中にしばしば、「なぜ日本人がドイツ労働法を勉強するのか」と質問された。日本のことをよく知らないドイツ人は素朴な疑問を感じたようであり、少し事情を知っているドイツ人は、日本ではアメリカの影響が強いと思い込んでいたようである。私は、ドイツ労働法は日本に大きな影響を与えてきたし、内容的にも進んでいるので、日本の労働法にとってもそれを研究することが重要なのだと説明してきた。

 しかし、実は、大学院で研究対象としてドイツ労働法を選択したのはそんな立派な理由からではない。私は単にドイツが好きだったのである。当時は、音楽といえば圧倒的にドイツ(オーストリアを含む)であり、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの音楽が毎日のようにラジオに流れていた。哲学・思想ではカント、ヘーゲル、マルクス、ウェーバーなどが不動の地位を占め、文学でも、ゲーテー、ヘッセ、シュトルム、トマス・マンなどが愛読されていた。私のドイツ好きは、哲学を専攻していた長兄の影響にもよるが、世の中で全体としてドイツ文化の影響が強かったのはまちがいない。

 私はこうしてドイツ労働法の道に入ったが、結果的には正解だったと思っている。ドイツ労働法の歴史研究からは、独自の法領域としての労働法が生成してくるダイナミックな過程とそれが反省的にとらえ返される過程を学び、それによって自分の労働法の基礎が形成されたと思う。また、基本的な法理念のもとに厳密に規定された概念を体系化するとともに、現実的変化への対応可能性も含む法ドクマティーク(Rechtsdogmatik)の重要性を学ぶことができた。

 合計3回のドイツ留学で、何人かの研究者と直接お話できたのがとても有益であった。1975年から約2年間滞在したギーセン大学では、ラム(Thilo Ramm)教授にお世話になった。彼は、当時ドイツの数少ない進歩的労働法学者の一人であったが、歴史研究への関心ももち、多くの示唆を与えてくれた。人間的にはちょっと難しい人ではあった。留学期間の終わり頃にブレーメン滞在中の角田邦重さんのお宅を訪ね、奥様の手料理を頂き、午後から夜遅くまで話し込んだのもなつかしい思い出である。
 1982年には、昔ジンツハイマーが講義を行っていたフランクフルト大学に半年滞在した。お世話になったシミティス(Spiros Simitis)教授は、データ保護法に関心を移していたため学問的な議論はできなかったが、十分な研究環境を与えてくれた。大学の書庫を中心に古い資料の収集に精を出したものである。フランクフルト大学では、昔ジンツハイマーの助手を務めていたというチェコのメスティッツ教授と出会い、ジンツハイマーがギールケやロトマールなどの著名な法学者から受け取った書簡(著書贈呈への礼状)を見せてもらったり、ジンツハイマーに関する面白い話を聞かせて頂いた。ジンツハイマーは大変饒舌な人で、助手のメスティッツが重要な要件があって訪問しても一人でしゃべっているので、メスティッツはしかたなく、近所に住んでいるのに手紙を書いたという。
 3度目の長期滞在は1991年、フライブルク大学のレーヴィッシュ(Manfred Löwisch)教授のお招きで、日本労働法について15回の講義をするのが主目的であった。講義の準備は大変で、当日の質疑応答でも冷や汗の連続であったが、ドイツとの比較で日本労働法の特徴を整理するよい機会となった。レーヴィッシュ教授は、お世話になった3人のなかでは最も保守的だが最も親切で、地域の使用者団体の会合などによく連れて行ってくれた。ドイブラー教授が日本に来たとき、「お前はなぜレーヴィッシュと親しくつきあうのか」と不満げに言っていたが、「彼はよい人だし、彼の法解釈論から学ぶべきものが多い」というのが私の答えであり、今も変わらない思いである。

 しかし、時代は変わった。ドイツ労働法は、グローバル化やEU統合の進展とともに大きく変化しつつある。その変化は、個別的な立法や法解釈論にとどまらず、方法論にも及んでいく可能性がある。ドイツの法ドグマティークの伝統はそれほど簡単に崩れるものではあるまいが、中長期的には結果重視の方向に変化していくかもしれない。
 他方、日本では、ドイツ文化の相対的低下が顕著である。大学で第二外国語としてドイツ語を選択する学生は減少し、ゲーテ、ヘッセ、マンなどはあまり読まれなくなったようである。アメリカや他のヨーロッパ諸国の影響が強まったのか、欧米文化への関心が全体として低下したのか。いずれにしても、その理由は検討に値する。

 日本におけるドイツ労働法研究の発展のためには、こうした時代の変化を考える必要がある。私のように、ドイツが好きというだけでドイツ労働法を専攻する者は少なくなるであろう。また、グローバル化やEU化のなかでドイツ労働法の独自性は相対的に弱まっていくにちがいない。「なぜ日本人がドイツ労働法を研究するのか」と問われたら、今日では以前の私のように答えてすませるわけにいかないかもしれない。

(2022/04/04)