ドイツの人権デューディリジェンス立法をみる私の視点(2)

井川志郎(山口大学准教授)

 ◆ LkSGは、ドイツにおいて1,000人以上(施行初年の2023年は3,000人)を使用する企業に、ドイツに本拠や支店がある場合に適用される(1条1項)。適用対象企業は、「人権リスクもしくは環境関連リスク」の予防もしくは最小化、または、「人権関連義務違反もしくは環境関連義務違反」の解消を目的として、そのサプライチェーンにおいて「人権デューディリジェンス義務及び環境関連デューディリジェンス義務」を守るべきものとされる(3条1項1文)。
  環境関連リスク等が挙げられていることから分かるように、本法の射程は労働問題に限られないが、その侵害が問題となる「人権」として掲げられているものの大部分は労働者の人権であり、とりわけ中核的労働基準である(2条2項)。

 本法が定めるデューディリジェンス義務は、人権侵害という結果について企業に責任を負わせるもの(Erfolgspflicht)ではなく、一定のプロセスを実行してそうした結果の予防や解消に努めることを求めるもの(Bemühenspflicht)である(BT-Drs. 19/28649, S. 41)。その具体的内容は、①リスク管理体制の設立、②企業内での担当の設定、③定期的なリスク分析の実施、④方針の発表、⑤予防措置の確立、⑥是正措置の実施、⑦不服申立手続の設立、⑧契約相手方ではないサプライヤー(間接的サプライヤ―)との関係での義務の実行、⑨記録および報告とされている(3条1項2文。より詳細は4条以下)。もっとも、どの程度の措置が求められるかは、企業ごとに、また問題の性質および程度に従って変わってくる(3条2項)。

 本法においては行政監督が予定され(12条以下)、デューディリジェンス義務の不遵守については過料規定が用意されており(24条)、これを科されれば公共調達手続から排除される可能性もある(22条)。民事責任については立法過程でかなり争われたが、結果としては「この法律に基づく義務への違反は、民事責任を基礎づけるものではない」一方で、「この法律に関係なく基礎づけられる民事責任には影響がない」ものとされた(3条3項)。要するに、実体法上は現状に何ら変更を加えるものでない。

 ただ本法には、一定の場合に(本法において列挙されている人権保護のための諸条約で保護されている法的地位のうち、「格別に重要な(überragend wichtig)」なものが侵害されたと主張される場合)、被害者だと主張する者により、ドイツ国内の労働組合またはNGOに訴訟追行権限が与えられうることが規定された(11条)。主張できる実体法上の権利に変化はなくても、手続法上は労働者(またその他の被害者)の当該権利の実現をより容易にする仕組みが用意されたものといえる。

◆ さらに詳細な紹介や分析にも意味があろうが、法律の内容については上記の概要にとどめておこう。それよりもここで注目したいのは、本法の制定経緯である。
 前述のとおりドイツのLkSGが成立したのは2021年6月であり、いち早く人権デューディリジェンス立法を成し遂げた他国の例(2010年(2012年発効)米カリフォルニア州・サプライチェーン法、2015年イギリス・現代奴隷法、2017年フランス・人権デューディリジェンス法、2018年オーストラリア・現代奴隷法、2019年オランダ・児童労働デューディリジェンス法、2021年(2022年施行)ノルウェー・透明化法)と比べて、少なくともその成立時期だけをみれば特別に先進的な例というわけではない。

 もちろん、ドイツが法案提出から採択に至るまで人権デューディリジェンスの領域に無関心であったわけではない。前掲の国連ビジネスと人権に関する指導原則は、国家に対して、その人権を保護すべき義務を果たすために、企業に人権尊重を促すための政策を展開することを求めている(第3原則)。これには法律による強制的な措置もあれば、ガイダンスの提供のような自発的行動を促す措置も含まれる。この点ドイツは、当初はソフトローの基盤のもとに企業に人権デューディリジェンスを促す政策を採ったのである。すなわち、国別行動計画(NAP)による企業への期待表明である。なおNAPとは、指導原則の内容を実現するために国ごとに策定されることが推奨されている政策文書である。

 2013年に当時の連立政権により予告され、2014年から2年間を費やして策定されたドイツ版NAP(2016-20)によるソフトローアプローチは、しかしながら目標未達ゆえに事後的な評価としては不十分と総括されることになる。当時ドイツは、NAPの求める人権デューディリジェンスを実行する企業が、500人超を使用する企業において2020年までに50%以上に達することを目標としていたところ、ふたを開けてみれば20%に満たない企業しか要求水準を満たしていなかったのである。

 そこでドイツ政府は、立法措置の検討に入る。そもそもNAPにおいて既に、目標未達の場合には立法措置を検討することが予告されていた。とはいえ、立法提案そして議会での採決に至るまでの経緯は、決して平たんな道のりではなかった。立法を要請する声明(„Unternehmens-Statement: Unsere Verantwortung in einer globalisierten Welt“)に名を連ねる有志の企業がいた一方で、しかし経営者の全国団体は立法化に反対する共同声明(„Gemeinsames Statement BDA/BDI/DIHK/HDE anlässlich der Diskussion um ein sogenanntes nationales Sorgfaltspflichtengesetz und der Vorstellung der NAP-Ergebnisse“)を公表する。

 また、連邦政府内でも対立があり、法案提出が度重なり延期されることになる。立法積極派は、NAPの目標達成状況にかかる一連のモニタリング調査が終了する前の2019年12月に、その芳しくない途中経過もあって、既に可能な立法内容についての話し合いを始めていた。2020年3月には法案要綱が示される予定であったが、慎重派において拙速な議論だとする反発が生じ、また、まさにドイツ国内でも新型コロナウィルス感染症が拡大し始めていたこともあって企業への過大な負担を懸念する意見が強まり、見送られる。
 その後も閣議決定は見送られ続け、ようやく翌2021年2月に連立政権内で合意が得られ、同年3月3日の連邦政府草案の閣議決定にこぎつけた。一定の修正が施されたうえで、これが同年6月にLkSGとして成立するわけである。    (つづく)