ドイツのパワハラ問題(下) ~その概念ゆえの悩ましさとこれからの課題~
原俊之(青森中央学院大学教授)
立ちはだかる壁…立証問題
かくして役者は出そろった。
定義も賠償請求権の根拠もはっきりした以上、民事賠償を通じた適切な事後処理のツールとして、またその反射的作用としての予防効果も期待できるはずだ。何よりもこの問題に取り組んだ研究者や法律家はそれを願っていたはずだ。
では、どんな結末になったか、ドイツのモビング研究の第一人者・ヴォルメラート(Martin Wolmerath)氏に語っていただこう。
「このような訴訟の成果は常に乏しいものであり、これまでに満足の行く判決を得られた訴えはごくわずかに過ぎなかった。その実質的な理由は(中略)加害者の行為に関する立証可能性と帰責性という問題であったし、今もそうである。」(Wolmerath,Workplace Bullying and Harassment in Germany,in: Workplace Bullying and Harassment -2013 JILPT Seminar on Workplace Bullying and Harassment- ,JILPT REPORT No.12(2013),pp.77-90.)
言われてみれば無理もない話だ。そもそも何ら法的に問題のない個々の行為の総体を、全体的にみて「システマティック」な目的の下になされた嫌がらせ行為であると立証するなど、ほぼ不可能であろう。そういう陰湿ないじめ行為ほど周囲にわからないように巧妙になされることも少なくないだろうし、加害者側が「実はあれ、全部いじめのつもりでやりました」などと自白する可能性もまず期待できない。
こういう問題の難しさは、わが国でも時おり指摘されている。
「最近では、「ソフトな退職強要」と私が名づけたような事例も増えている。
これは、直接、退職勧奨や解雇を行うのではなく、職場で「なんとなくいられない」ように圧力をかけていく、という方法だ。法的に争えるレベルの嫌がらせ、たとえば人格を否定するような暴言を吐いたり、しつこく「辞めろ」と迫ったり、暴力をふるったりすることはけっしてしない。ただひたすら、挨拶をしないとか、つまらない仕事ばかりやらせるとか、職場のなかで「特別な人」のように扱うことを続ける。
職場でこのような扱いを受けると、とても人間はもろい。あっというまに精神が破壊されてしまう。」(今野晴貴『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』(星海社・2013年)85頁)
そう、こういう扱いによって「あっという間に精神が破壊されてしまう」。まさにDer Spiegelの記事がいうところの「心理テロ」そのものなのだ。しかるに現行の法で対処できることは極めて限られている。
ヴォルメラート氏は2019年に公刊された著書の中で、次のように指摘する。
「本書は、モビングという現象の法的側面をお伝えすることを目的としている。このため、具体的な事案においてモビングに法的手段をもって対処するために、ドイツ法がいかなる可能性をもたらすかを述べていくが、同時にそれは必然的に法の限界を明らかにすることとなる。」(Wolmerath, Mobbing. Rechtshandbuch für die Praxis,5.Auf.,2019,S.8.)
職場のいじめ・嫌がらせに法的に対処しようとしても、おのずと限界があるということは、実はわが国の専門家諸氏も薄々わかっていたのではないだろうか。
では、法学の専門家として、この限界をどのように突破すべきか。
一つ可能性を見出すとすれば、産業医、保健師、人事担当者、心理職など現場の多様な分野の専門家を巻き込みながら、予防方法や対策を検討することである。法だけでは足りない、限界だというのなら、産業医学や精神医学、心理学、人事など法学以外の知見が必須になるはずである。すでにその動きは産業保健法という名称で動き出しており、ハラスメント以外にも様々な現場の問題解決を図る方途を模索しているところである。
ドイツのパワハラ問題が最後に投げかけた「法の限界」をどう克服するか。これはわが国の法律家に突き付けられた大きな課題の一つであると言える。 (2024/11/12)