ドイツのパワハラ問題(上) ~その概念ゆえの悩ましさとこれからの課題~
原俊之(青森中央学院大学教授)
はじめに
職場のいじめ・嫌がらせ、いわゆるパワーハラスメント(以下「パワハラ」とする)はわが国だけではなく、世界中の労働者を悩ませている問題であろう。ドイツも例外ではなく―ドイツでは「モビング(Mobbing)」という―はかなり前から深刻な社会問題と受け止められている。
今から一昔以上前の2012年、ドイツのニュース週刊誌「Der Spiegel」において「MOBBING/Der Feind in meinem Büro」(いじめ/私のオフィスの中の敵)と銘打った特集記事が組まれ、各職場での深刻な実態が紹介されている。
これによると、ドイツの職場でモビングの被害に遭った人の数は180万人におよび、自殺原因の20%はモビングであるとされている。また、モビングによって生じたドイツ企業が被る損失は、23億ユーロに達するという。同記事では、職場のいじめは「心理テロ(Psychoterror)」や従業員間の「戦争(Krieg)」などという言葉で表現され、単なる個人的なトラブルにとどまらず、国を挙げて取り組まなければならない社会病理であることがうかがわれる。
背景と沿革
法学者に先んじてこの問題に切り込んだのは、スウェーデンの心理学者であるレイマン(Heinz Leymann)であった。
レイマンによると、労働者の精神的な不快感は、個人の性格的な原因ではなく、職場環境そのものにその原因が見出されることがしばしばであるとされ、その研究成果の一つとして1993年にドイツで出版されたのが「Mobbing. Psychoterror am Arbeitsplatz und wie man sich dagegen wehren kann」(※モビング-職場における精神テロにどう立ち向かえるか)であり、これがドイツにおいてモビングが認識される契機となった。
そしてドイツの労働法学者ドイブラー(Wolfgang Däubler)がレイマンのこの認識を法学の俎上に乗せ、加害者や使用者の法的責任を追及するツールを民法その他の明文規定に見出して以来(Däubler,Mobbing und Arbeitsrecht BB 1995,S.1347.)、多くの学説・判例がこの問題に取り組んだ。結果、現時点で被害者が援用できる民事法・労働法上の法的手段は概ね以下の通りになる。
加害者が個人であれ、また会社ぐるみであれ、加害者個人または使用者を相手取って不法行為に基づく損害賠償請求が可能であり(ドイツ民法(以下“BGB”)823条)、故意による良俗違反(sittenwidrig)行為に基づく損害賠償(BGB826条)などの規定を援用することもできる。さらには、妨害排除請求権(BGB1004条)に基づき、モビングの不作為請求または名誉棄損的表現の撤回を請求できる可能性もある。
また、労働契約当事者としての使用者は、労働者に対して健康や人格権を保護すべき付随義務を負うところ、これを怠ったことを理由に債務不履行責任が生じうるし(BGB280条)、履行補助者としての労働者(=加害者)の尻拭いをさせられる可能性もある(BGB278条)。
モビングの定義・概念
このように、ドイツにおける民事賠償請求のツールや理屈は、わが国のそれとさほど大きな違いはない。では、その定義や概念はどうだろうか。
最初に定義づけを試みたのはドイツ連邦労働裁判所(Bundesarbeitsgericht、以下「BAG」)の1997年判決(BAG 15.1.1997-7 ABR 14/96)であった。
これによると、モビングとは、「「労働者相互のまたは上司による、システマティック(systematisch)な敵対行為、嫌がらせまたは差別」であり、その原因は個々の労働者または労働者集団の過大ないし過小な要求(Über – oder Unterforderung)もしくは労働組織や上司の行動にある」とされる。ここで引っかかるのは「システマティック」という用語であろう。その具体的な意味は、4年後のテューリンゲン州労働裁判所の判決(LAG Thüringen 10.4.2001-5 Sa 403/00)で明らかにされる。
意訳すると以下のようになる。
「労働法的な観点からモビングを定義づけると、敵視、嫌がらせ、差別を目的とした、支配的地位を利用した継続した積極的な行為であって、通常その態様・経過からして不当な目的を煽り、全体として被害者の人格権その他名誉、健康といった保護法益を侵害するものをいう」。
以上のように定義したうえで、「システマティック」という言葉の意味を次の通り明らかにする。
「モビングという概念の意義は、一つ一つの行為を個別に検討した場合には何ら違法でない一連の継続した行為に、法の適用を可能ならしめるところにある。(中略)労働法的見地からモビングの存在を肯定するのに必要なシステマティックな敵対行為、嫌がらせ、差別が存在するか否かは、常に個々の事案における諸般の事情を検討して判断しなければならない。(中略)システマティックな行動とは、被害者の権利を侵害する諸々の行動の間に関連性が存在しなくてはならないということを意味しているが、このような関連性が存在するというためには、加害者の一貫した目的意識がその必要条件となる。」
職場のいじめ・嫌がらせの態様は千差万別であり、暴力行為に及ぶようなすさまじいものもある一方、挨拶の無視、通りすがりに顔をそむける、あるいは社員食堂などにおいて当人をあからさまに避けるといった、ある意味より陰湿な態様となることもある。特に後者の場合については、それら一つ一つの行為は、「何ら違法でない」。
ところが、そういった一連の行動が、例えば当人を職場から追放する目的で、あるいは正当な権利主張や要求に対する報復目的など、「加害者の一貫した目的意識」のもとになされたような場合には、「被害者の権利を侵害する諸々の行動の間に関連性」が見出されることになり、そのように考えればそれら全体を一個のシステマティックな行動として、「法の適用を可能ならしめる」ということである。よって、「継続した」行為が「全体として」被害者の法益を害するケースを不法行為その他の法規定の俎上にのせるべく、上述のような概念が必要となってくるわけである。要は、複数の行為を全体として一個の行為として法的検討の俎上にのせ、本来なら法の適用対象から漏れる行為を可視化する作業を可能ならしめるための概念といえる。BAGもこの考え方を概ね踏襲している(BAG 25.10.2007 -8 AZR 593/06.)。
実は前述のレイマンはすでにモビングの定義づけの際に「システマティック」をいう語を用いており、長期間に及ぶ行為を前提としている。それを労働法学の検討課題として浮上させたドイブラーの念頭にあったのは、交通事故にせよ売買契約にせよ一度きりの個々の行動を検討対象とし、長期間にわたる社会的関係を評価するのは困難であるという、伝統的な法の姿に対する忸怩たる思いであった(Däubler,a.a.O)。判例の定義はこのような先行研究の成果を汲んだものと言える。