能力不足を理由とする解雇とアルゴリズム(2)

緒方桂子(南山大学

 労働者のパフォーマンスは、その業績を量的に認識しうるような性質の仕事の場合、ある程度把握しやすいように思う。たとえば、前掲連邦労働裁判所2003年判決では、商品を運び出し容器に積み込む作業量について被解雇労働者のそれと当該職場の平均量とが比較されている。しかし、仕事の性質によってはその業績を量的に把握することが難しい場合もある。その際には、使用者は解雇の正当性を主張するのに苦労するだろう。

 もっとも、現在はともかく、将来的にはいかなる性質の労働であっても、労働者のパフォーマンスを数値で表すことは可能になるだろうと思う。なぜなら、いまや、私たちの労働の現場にはデジタル機器が深く入り込み、それらのデジタル機器に蓄積される大量のデータから一定の意味を持つ数値を導き出すことが可能であると考えられるからである。
 出退勤の記録はもちろん、文書を作成するのにかかる時間、キーボードのミスタッチの比率(最近のパソコンでは「そろそろ休憩しませんか?」と出るが、あれはミスタッチの出現率などで測っているのだろう)、指示に対するレスポンスまでにかかる時間、顧客ひとりあたり対応する時間、電話を受けた件数、送ったメールの数、統計に表われる顧客満足度等々…私たちの仕事の過程はさまざまに数値化され、電子データとして蓄積されていく。それらを組み合わせることで、労働者個人のパフォーマンスを数字として導き出すことは十分可能であるように思う。

 そうであるとすれば、より重大な問題は、何をもって「良い/悪いパフォーマンス」と呼ぶかということであると気づく。

 これに関連して思い出すのは、Uber Eats(ウーバーイーツ)で話題となっている人工知能(AI)による配達リクエストの割振りである。
 ウーバーイーツの配達員らは、スマートフォンに配達リクエストの通知が届くことを「鳴る」というらしいが、どの配達員のスマホを鳴らすかは、ウーバーイーツが運用するAIが決めている。AIは、配達員の現在地と飲食店の所在地、注文主の住所などを複合的に勘案して配達リクエストを割り振っているとされるが、その詳しいアルゴリズムは明らかにされていない。同じ場所に待機している配達員のなかでも、よく鳴る人とまったく鳴らない人がいるという。

 インターネットを「ウーバーイーツ」「アルゴリズム」で検索すると、さまざまな検証記事やブログがひっかかってくる。運営側からアルゴリズムないし割振りに際して重視されるデータ項目が明らかにされていないために、実際のウーバーイーツ配達員らがそれぞれ自らの経験をもとに独自の見解を披露しているのである。配達員の仕事から得られる収入によって生計を立てる人々にとって、「待機時間を減らすこと」はまさに死活問題である。どのような働きぶりであれば自分のスマホが「鳴る」のかを必死に考えるのは当然のことだろう。

 ウーバーイーツ運営者側の基本的な希望は「早く料理を届ける」ということにあるはずだから、その希望を叶えるのにもっとも適したパフォーマンスを持つ者が誰かを選別して、その人のスマホを鳴らしていると推測される。
 しかし、それを決めるのはAIないしアルゴリズムである。「AI上司」、「AIに気に入られるには」…インターネットを検索するとそのような表現も並ぶ。働く者のパフォーマンスを計算し、そのなかから優れた者を選別するAIの存在とそれに一喜一憂する人間。もはや絵空事ではない。現実である。

 このように考えてくると、使用者が、AIを使って、どの労働者が「能力不足」であるかをあぶりだすことは技術的に可能だろうし、将来的に、日常的な風景になっていくかもしれない。
  とすれば、問題はアルゴリズムである。具体的には、いわゆる「差別的アルゴリズム」の存在、そしてアルゴリズムに支配されることによって生じる労働強化が危惧される。

 まったく素人の私からすれば、さまざまなことが気にかかる。たとえば年休を取得している人、家族ケアを抱える人、労働組合活動を通じて職場の改善を図ろうとしている人が「仕事のパフォーマンスの低い人」と評価されるようなことはないのか、ほぼ24時間体制で顧客からのメールや電話に対応する労働者、あるいはそのような対応をすることで高い顧客満足度を獲得する労働者が「パフォーマンスの高い人」と評価されるのではないか、といったことである。後者のような働き方が現場のスタンダートになってしまうならば、その「3分の1」に満たない働きぶりの労働者は、労働保護法規の範囲内で適切に働いているにも関わらず、「能力不足を理由とする解雇」の対象となっていくおそれもある。

 細谷教授の研究が今後どのように展開するのかわからないが*、解雇という古典的なテーマでありながらも、AI化が進行する現代において議論の尽きない広がりのあるテーマであることを感じる。もちろん、今般の報告のなかで、AIやアルゴリズムにまで言及があったというわけではない。このコラムで述べたのは、奮闘する「弟」の報告を横で聴きながら、「姉」の発想の翼が羽ばたいた、そんな小さな話である。

(2023/11/06)

*なお、ドイツでは、ドイツ基本法1条1項および同2条1項に基づき、パフォーマンスを証明するデータを解雇制限訴訟において活用することはできないという。個人情報利用に関する同意の任意性が確保できないことによるらしい(この時点で日本の状況はすでに危うい)。
 しかし、デジタルを通じた労務提供の管理化は労働者の働き方に影響を与えずにはおかない。そのような問題意識から書かれたChristopher Kraus,Der Betrieb Nr.12, S.701ff. を翻訳したものとして、細谷越史翻訳「労働世界のデジタル化—ローパフォーマーの問題は終了するか?—EU一般データ保護規則および連邦データ保護法の新規制に鑑みた,技術的なプログラムによる低下した労務給付の確定,データ保護法上の諸問題,証明利用の諸課題—」香川法学第41巻第1・2号(2021年)がある。