ドイツの人権デューディリジェンス立法をみる私の視点(3)
井川志郎(山口大学准教授)
◆ かかるLkSGの成立経緯は、ソフトロー規範によって企業の自主的な取組みを促す政策(「ソフトローアプローチ」と呼んでおこう)から、ハードローによる義務付けを行う政策(「ハードローアプローチ」と呼んでおこう)への移行として理解できる。いわゆる日本版NAPにおいて、現在のところソフトローアプローチを採用しているわが国にとって、その経験は2つの点で興味深い。
第1に、ソフトローアプローチの事後的な評価枠組みの在り方である。ドイツにおいてソフトローアプローチに対して不十分との評価が下されたことは、かかる評価を前提にその後の政策が動いたことも併せ考えると、ソフトローアプローチの事後的な評価枠組みが単なる形式的な儀式に終わらず、正常に作用したことを示唆しているように思われる。政策的判断を支えるものとして、こうした評価枠組みの正常な作用は重要と思われるが、それを可能にしたものは何か。この点を検討してみることは、人権デューディリジェンス立法の前提条件を示唆し得る。
第2に、根強い反対論がありつつもハードローアプローチに移行した経緯である。ドイツでは、企業に負担を課すことが国内外でマイナスをもたらしうるとの懸念から、法制化には反対論が根強く、時間を要した。それでもLkSGというハードローアプローチに移行するのには、企業に法的義務を課すことができるほどの正当化根拠が必要とされたはずである。同法の立法過程での議論を追ってみれば、それを見出すことができるかもしれない。
第1の点についての私の仮説は、①規範の明確性、②数値目標の明記、③幅広いステークホルダーとの対話である。この点、日本版NAPにおける人権デューディリジェンスの要請には①と②が欠けていたように思われるが、政府においてより具体的な要請を示すガイドライン(「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン」)が、ちょうど本稿脱稿の日にとりまとめられる見込みであり、①の不足の克服が期待される。少なくとも現在よりも適切なモニタリング調査を可能としうる、重要な前進といえよう。
第2の点については、まだまだ検討不足な状態での仮説ではあるが、「公平な競争環境(level playing field)」がキーワードになるのではないかと考えている。もちろん、人権という普遍的な価値が国境によって分断されることなく保障されるべきであるということが、忘れてはならない基本認識であろう。
しかしそれと同時に、人権デューディリジェンス立法にとっては、以下のことが重大な関心事と思われる。すなわち、あるサプライチェーンがサプライヤーにおけるコストの低い劣悪な労働条件で成り立っているとすれば、当該サプライチェーンから供給を受けている企業は、サプライチェーンでの人権デューディリジェンスを誠実に実施している他の企業に対して、競争上の優位を持ちうる。
そして、サプライヤーにおける劣悪な労働条件が競争上の優位として利用される事態は、まさに冒頭に触れた貿易と労働の問題の文脈で懸念されてきたような、底辺への競争をもたらすことが懸念される。国家だけでなく、サプライチェーンに影響力を有する企業が人権保護のための監督責任を負うべきなのは、かかる事態を防ぐべきだからではないか。
◆ このようにみてくると、人権デューディリジェンス立法が≪国際貿易・投資と労働法≫という大きなテーマの延長にあることの確認にも、意味があったように思われる。人権デューディリジェンス立法は、人権という普遍的価値を国外の人々のために追求する高尚な政策として、単純化して評価することはできない。それは、国際的な競争環境のなかでの、我々の利益に関わる問題とみるべきなのではないか。
なお、公平な競争環境という観点からいうと、人権デューディリジェンス立法というのは一国の取組みにとどまっては十分な効果を発揮しえないであろうことにも、触れておかねばならない。そしてドイツが国内立法を推進した背景には、今後の国際的な立法を先導しようという意志も垣間見える。先進国として共通の国際的な課題について、着実に歩を進めているようにみえるドイツの動向を、わが国は後追いする(あるいは横目で見ている)だけでよいのだろうか。
※ 本コラムで論じたことの詳細は、いくつかの研究成果として、おそらく今年度中に公表される。まだ改善修正が可能な段階なため、読者諸賢において本コラムの内容につきお気づきの点があれば、忌憚ないご意見ご批判を賜れれば幸いである。
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