スピロス・ジミティス教授

桑村裕美子(東北大学教授)

 2023年3月18日、データ保護法(Datenschutzrecht)の第一人者であり世界的に著名な法学者スピロス・ジミティス(Spiros Simitis)教授がお亡くなりになった。
   ジミティス先生は長らくヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学(フランクフルト)で教授(労働法、民法、法情報学)を務められる一方、海外の著名な大学(London School of Economics、カリフォルニア大学バークレー校、イエール大学など)の客員教授やEUなどの国際組織の委員を務められ、各国の研究者や実務家に大きな影響を与えてこられた。
 私が最初にゲーテ大学で在外研究に従事していた頃(2010年~)は既に退官されていたが、滞在中、大学でお会いすることができたのはとても幸運であった。現在私はゲーテ大学で2回目の在外研究に従事しており、2024年1月15日に同教授を偲んで開催された講演会に参加し、同教授について語られるお話の一つ一つに感銘を受けた一人である。
 以下、マンフレッド・ヴァイス(Manfred Weiss)教授による追悼文*1をもとに、ジミティス先生の法学界・法実務における功績*2を簡単に紹介させていただきたい。

 ジミティス先生は1934年にギリシャ・アテネに生まれ、22歳の若さでドイツのマーブルク大学にて博士号を取得。ゲーテ大学で教授資格を取得した後、ギーセン大学教授(1964年~)を経て1969年にゲーテ大学教授に就任。その後、国内外の著名な大学から招へい(Ruf)を受けつつも、2003年の退官までゲーテ大学に在籍し活躍された。
 現在ドイツでは、EU規則(DS-GVO*3)およびドイツ新連邦法(BDSG*4)の施行(2018年5月25日)により個人情報などのデータ保護が実務上重要なテーマとなっているが、この分野で世界的なパイオニアはジミティス教授である。1970年のヘッセン州データ保護法*5は、ドイツ国内はおろか世界で初めて制定されたデータ保護立法であり、ジミティス教授がその立法過程に深く関与されたことが知られている。
 実際に当時の法律を見てみると、全17条の3部構成であり、第1部は保護範囲(州の行政機関等で機械によるデータ処理を目的に作成される全文書、保存データ、処理後のデータ)、保護内容(無権限者による閲覧・加工等の禁止)、守秘義務、訂正請求等を、第2部は監督官(Datenschutzbeauftragte)の法的地位や任務等を、第3部は法違反の罰則等を定めていた。

 条文は非常にシンプルで、現在からみればごく基本的な事項を定めたものにすぎないが、個人情報に関する自己決定の概念が確立する相当前(立法作業は1960年代後半に行われている)に、機械によるデータ処理に伴うリスク(大量の情報漏洩、無権限者による加工等)に対処する必要性を認識し、法律によりいちはやく行政機関における個人情報等の取扱いを適正化したことには大きな意義がある。ジミティス教授はその後も、ILOのデータ保護行動指針や、DS-GVOに至るまでの一連のEUのデータ保護規制の制定に関与された。

 ジミティス教授はデータ保護法以外でも多くの法分野で顕著な業績を残してこられたことで有名である。同教授を偲んで開催された上記講演会では、法理論、労働法、家族法、EU法の専門家からも同教授の功績が紹介された。また、ジミティス教授は、法制史、法社会学、比較法、法政治学の学者であり、さらには法学者の枠を超えて、広範囲にわたり見識を有する知識人、国際人、ドイツ国内外の著名人であったと紹介される*6 。上記講演会では、アメリカのPaul M. Schwartz教授(カリフォルニア大学バークレー校、法情報学)が、ジミティス教授を「真の巨人(Echter Riese)」と表現されたことが印象的である。

 上記講演会では、国内外の若手研究者とも親しく交流され困難があればすぐに手を差し伸べられたジミティス教授のお人柄も紹介された。
 それで思い出すのは、私がゲーテ大学に研究滞在をしていた2011年の出来事である。その頃、ゲーテ大学の学内新聞で若手の客員研究者を紹介する欄があり、私のことが写真付きで掲載された。私が日本から来ていることや比較法をしていることが書かれた記事だった。
 その新聞が出た直後だったと思う。いつものように同僚の助手たちと大学の食堂で昼食をとり、研究室に戻るためエレベーターに乗ったところ、後ろに立っている男性から、「あなたのことを新聞で見た!」と話しかけられ、「素晴らしいことだ!いつでも私の研究室に来てください」と言われた。突然のことで何が何だか分からず、そのまま挨拶だけしてエレベーターを降りたような記憶があるが、後から同僚に、あれはジミティス先生で、どれだけすごい先生であるかを教えてもらった。非常にお忙しいはずなのに、学内の新聞にも隅々まで目を通し、すぐに私の顔を認識して話しかけてくださったことは大きな驚きで、とても励まされたことを覚えている。

 ドイツでは比較法をする学者が少なく、共同研究者を見つけるのに難しさを感じることも多いが、ジミティス先生にとって他分野の専門家との交流や学際的活動は当然のことであったという。自国の法制度だけを見ていては他国の経験を知らないまま不必要な作業を繰り返すことになる――これは同教授にとって明らかであった。単に制度や規制を比較するのではなく、その現実への影響を考察した上で機能的な比較法を行うことで、不必要な失敗を回避することができる。こうした比較法的視点を、その深い見識に基づく歴史的視点と組み合わせて法制度の発展に貢献されたのがジミティス教授であったという*7。

 比較法に従事する一研究者として、ジミティス先生のお考えは心に響くもので、大変重みがあると感じる。それをどう実践していくか、自分なりに考えていかねばならないと思った次第である。 (2024/05/17)

【*注】
*1) Manfred Weiss, Nachruf Spiros Simitis – 1934 bis 2023, Soziales Recht 2023, Ausgabe 4, 125.
*2) ジミティス教授の業績は記念論文集(Dieter Simon/Manfred Weiss (Hrsg.), Zur Autonomie des Individuums: Liber Amicorum Spiros Simitis (2000), S.11 ff., 509 ff.)でも詳しく紹介されている。
*3) Verordnung (EU) 2016/679 (Datenschutz-Grundverordnung)
*4) Bundesdatenschutzgesetz (BDSG)
*5) Das Hessische Datenschutzgesetz vom 7. Oktober 1970, Gesetz- und Verordnungsblatt für das Land Hessen, Teil I, 625.
*6) 前掲*1)125頁。
*7) 前掲*1)125頁。