マルティン・ヘンスラー教授(ケルン大学)古稀記念論文集出版シンポ・祝賀会

米津孝司(中央大学)

   先日6月24日、ケルン大学名誉教授のマルティン・ヘンスラー教授の古稀記念論文集出版祝賀のシンポジウム・パーティーに招待され出席した。会場は、ケルン市内のWolkenburgというケルン男性合唱団所有の建物で、結婚式や各種催しの会場として利用されている場所。Wolkenburgの中庭で、ヘンスラー教授が一人一人のゲストを迎え入れた。

   僕が彼を知ったのは、僕がまだケルン大学の博士候補生だった30年以上前に遡る。当時ヘンスラー教授はケルン大学法学部に民法・経済法・労働法の教授として招聘されたばかりの新進気鋭の若手教授。僕は、博士号取得のために必要な憲民刑の基本科目口頭試問の準備のため彼の債権法総論の講義を聴講した。

 その後、僕は帰国し都立大学に就職、さらに2007年に中央大学に籍を移してしばらくして、同僚の森勇教授(民事訴訟法)がケルン大学の弁護士法研究所所長であったヘンスラーを中央大学の日本比較法研究所が主催する弁護士法のシンポジウムの講師として招聘した際に、彼と再会、以降交流を深めることになった。
 2010年には中央大学法科大学院生を引き連れてドイツを訪問した際には、当時すでにWiedemann教授の後継として労働法経済法研究所の所長になっていたヘンスラー教授は、研究所総掛かりで我々のためにあれこれ準備をしてくれた。彼と繋がりのあるバイエル社の工場見学、同社幹部とのミーティングなど、充実したプログラムを提供してくれ、学生たちにとっては得難い体験となったはずである。その後も同教授は何度か日本を訪れ、日本の法曹実務家、研究者との交流を深めることになった。
 2012年に来日した際は、関西労働法研究会でも講演会を開催、フラッシュモブといいう新たな態様の争議行為に関するドイツ連邦労働裁判所の判決を紹介してくれている。この時の日本における一連の講演は、後に中央大学出版会から『ドイツ弁護士法と労働法の現在』(日本比較法研究所研究叢書、2014年)として出版されている。

   今回のヘンスラー古稀記念論文集、執筆者総数が150人を超え、総ページ数も1900頁に及び、これはドイツの法律出版メディア最大手のC.H.Beck社史上最大のボリュームとのことである。祝賀会のスピーチでも、この一大事業をめぐる各種エピソードが紹介された。ヘンスラー教授の専門は労働法とならんで経済法(民商法を含む広義)や弁護士法にも及んでおり、古稀記念論文集には各分野の第一人者が名を連ねている。以下の通り日本とも交流のある多くの労働法学者が寄稿している。
・Wolfgang Däubler, Entgeltbestandteile außerhalb des Arbeitsrechts?
・Peter Hanau/Felipe Temming, Arbeitszeit und Vergütung zwischen deutschem und europäischem Recht
・Ulrich Preis, Nachlese der gescheiterten Kodifikation des Arbeitsvertragsrechts .
・Volker Rieble, Der doppelte Betriebsrat.
・Raimund Waltermann, Tarifautonomie und Mindestlöhne – das deutsche Arbeitsrecht wird staatlicher.
・Rolf Wank, Der Crowdworker als Arbeitnehmer oder als Arbeitnehmerähnlicher?

  古稀記念論文集贈呈に先立ち、ケルン大学学長の Axel Freimuth教授、法学部長の Bernhard Kempen 教授の挨拶があり、その後、ヘンスラー教授の弟子筋の人たちによるアカデミックな報告が行われた。ニッパーダイ研究所として知られるケルン大学労働法経済法研究所の所長職をヘンスラー教授から引き継いだのが、Clemens Höpfner教授。”Wovor schützt das Arbeitsrecht? ”と題する報告は、法学方法論に造詣の深い彼らしい労働法学の基礎理論に関するもので、今後の同教授のさらなる理論展開が楽しみである。(Clemens Höpfneの博士論文、”Systemkonforme Auslegung”(2008年)は日本の労働法研究者にもぜひ本格的に検討してほしい大著である)。

   ヘンスラー教授は、学術的活動のみならず、弁護士や企業法務の実務家との交流、さらに司法政策についてもFrankfurter Allgemeine Zeitungをはじめとする大手メディアにおいて積極的に発言をおこなってきており、今回の記念式典には、政権与党会派CDU/CSUの法政策責任者で連邦議会議員の Günter Krings氏 や連邦法務大臣のMarco Buschmannが祝賀のスピーチに駆けつけた。

   今回の記念式典、僕個人にとっては、この間、家族的事情などでなかなかドイツ法関係の会合に参加できず不義理をしてしまっていた先生方とゆっくりお話ができたことが最大の収穫であった。ドイツ労働法学の状況を理解するためには勿論論文を読むことも必要だが、他方、直接話を聞くことで、論文を読むだけで掴めない微妙なニュアンスや各論者の主張の要点がストレートにわかったりする。
 今回は、20年ぶりにWank教授と直接議論する機会があり、同教授の最重要の研究テーマであり、日本においても橋本陽子教授の紹介の功もあって改めて注目を集めている”労働者”概念について意見交換することができた。以前から僕は、Wank教授の議論には彼の師である故Wiedemann教授の影響が色濃く反映しているとの印象を持っていたので、そのことを尋ねたら、躊躇なく「その通りだ」との返事が返ってきた。今回の古稀記念論文集において、僕は1966年に公表されたWiedemann教授の教授資格論文を再評価する内容の論文を執筆したので、次回は、ぜひWank教授とWiedemann理論について突っ込んだ議論をしたいと思っている。

  また20年前に僕がブレーメンで在外研究の際に世話になったDäubler 教授にも会うことができた。同教授はすでに84歳の高齢だが、いまなお精力的に労働法の論文を執筆するだけではなく、平和運動にも積極的に関わっており、先日はウクライナ反戦集会で演説をしたそうだ。同教授は、いずれかといえば保守的な教授が多いドイツ労働法学会にあって、一貫して徹底したプロレーバーの立ち位置から理論展開してきた。SPDシュレーダー政権時には法務大臣としてドイツ民法改正を指揮したお連れ合いのドイブラー・グメリンさんとともに今は故郷のチュービンゲンで元気に暮らしているとのこと。そのほか、Preis教授やWaltermann教授、Pruetting教授とも旧交を温めることができたが、残念ながらケルン時代の僕の指導教授であるHanau先生は体調を崩されていてお会いできなかった。

   記念式典の後、祝賀夕食会が催されたのだが、たまたま同席したルフトハンザ元人事部長のMartin Schmitt 氏は、僕がまだ30代半ばの頃にルフトハンザの日本人スチュワーデスの事件で法廷意見書を書いた時の相手方の会社側の担当者で、東京での裁判にも立ち会ったとのことで話が盛り上がった。
 異文化体験を趣味とする彼は、旅行先では必ず床屋に行くのだそうだ。僕が、日本にもドイツのJuristen Tag(ドイツ法曹会議)のような専門横断的なアカデミックな法学組織が必要だと思うと話した際、彼は、基本的に同意しつつも、大学の教授や法曹のみならず、一般市民の経験や智慧をどのように取り入れていくかが重要だと語った。法の母体は民衆の精神Volksgeistだとしたのがドイツ近代市民法学の父、フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーSavignyだが、僕が彼に、あなたはサヴィニーのスピリットをしっかり継承していますねと言うと、「その通り」という感じの嬉しそうな笑顔が返ってきた。彼も今回の記念論文集に寄稿しており、読むのが楽しみである(論文タイトルは”Deutsches Arbeitsrecht und seine richterrechtliche Fortentwicklung aus der Sicht langjähriger Personalleiterpraxis. )。

   総勢約250名が参加した夕食会は、なんと午前零時過ぎまで続いたが、連れ合いと共にヘンスラー夫妻ともしばし歓談する時間を持つことができた。ヘンスラー教授の夫人はオランダ人で、オランダで暮らす連れ合いとも話が弾んだようである。次回はぜひ日本で再会しましょう、ということで会場を後にした。

  当日の様子がケルン大学のHPに掲載されている。[こちら]

  ヘンスラー教授、故Wiedemann教授が所長を務めたケルン大学労働法経済法研究所の初代所長ニッパーダイ教授の足跡・業績については、高橋賢司教授の紹介がある(「ニッパーダイの労働法思想と理論」季刊労働法2013年春号)。

[2023/07/13]