「憲法敵対的」研究者に対する就業禁止Berufsverbot<2>
岩佐卓也(専修大学教授)
2023年2月、原告はバイエルン州を被告としてミュンヘン労働裁判所に提訴した。原告は、原告の憲法忠誠についての疑念は成立せず、基本法33条2項に基づき(注3) 、ミュンヘン工科大学は不採用を撤回し、原告を採用する義務があると主張した。
ver.diやGEW(教育科学労働組合)は集会開催などを通じて訴訟を支援した。またミュンヘン工科大学のver.di組合員グループも原告に協力した。
ver.di集会「学問の世界で就業禁止?」”Berufsverbote in der Wissenschaft?”のチラシ➤
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判旨
2024年8月14日、ミュンヘン労働裁判所は原告の請求を棄却した。主要部分を要約する。
採用請求権の判断枠組みについて:
基本法33条2項に基づく採用請求権は、採用以外の決定が違法もしくは裁量を逸脱したものermessensfehlerhaftである場合にのみ認められる。不採用が裁量の範囲内ermessensfehlerfreiであるためには「憲法忠誠についての一般的疑念」の根拠付けで十分である(「一般的」の部分は原文ではイタリック)。
不採用の理由について:
・2020年の原告のネット記事について:原告は、通常否定的意味をもつ「レジーム」の語を用いて「資本主義レジームとの闘い」と述べ、また「労働者自主管理に基づく経営の民主化」と述べている。このことから「原告は、現行法秩序をその機関とともに拒否し、…また民間経営企業の没収をアクティブに呼びかけている」と解することが可能である。政治ストを呼びかけていることから、原告は「新たな社会秩序に到達するために違法な手段を用いて現存国家に対抗する」との考えを支持している。
「レイシズムに対しては選挙の領域のみで闘うことはできない」との主張から、「原告は、彼の目指す社会形態の変革を実現するために、基本法で規定された政治的力関係の変革の手段としての選挙を適切なものとみなしていない」と解することが可能である。原告による違法な手段の呼びかけと戦闘的なレトリックから、「原告はこの『闘い』の手段として暴力も拒否していない」との解釈が可能である。
・大学教員としての資質について:「原告は、彼の意図に沿ってプロパガンダを行うために、講座での活動とそれによって仲介された〔学生との〕接触および〔学生に対する〕影響力行使の可能性をアクティブに利用しようと欲している」と被告が解することは裁量の範囲内で可能である。採用されれば原告は大学と被告州を対外的に代表することになるが、「被告州がその代理人とみなされている『レジーム』に対する闘いが、〔原告によって〕違法な手段をともなって呼びかけられることは、二年間であるとしても、被告州にとって受忍可能ではない」。
・団体所属について:Rote Hilfeは左翼過激主義の犯罪者を支援し、その支援は犯罪の是認によって支えられている。原告がRote Hilfeの構成員であることは、それ単独では原告の人格的不適切性を肯定する根拠としては不十分であるが、すでに確認された結論を補強する。
以上のことから、原告が憲法忠誠の保証を提供していないとの予見に被告州がいたったことは裁量の範囲内である。
若干のコメント
ミュンヘン工科大学は原告ルース氏について「暴力」や「暴力的」の言葉を多用する。
しかし繰り返すが、原告が具体的な暴力行為に及んだ証拠は示されていない。当初大学はそれを示そうとしたが最終的にできなかった。そこで「暴力」の根拠となるのは原告の言説である。
すなわち、原告はマルクス主義に依拠して資本主義を否定し、議会選挙以外の闘争手段を主張している。したがって原告は「自由で民主主義的な基本秩序」を認めていない。したがって原告は暴力的である-これが大学側の論理である。牽強付会であるといわなければならない。このことによって鮮明になるのは、資本主義を批判する研究者は採用しない、という大学の頑なな意志である。原告のいうようにアイシュタインも門前払いとなるだろう。
大学の主張を追認した今回の判決がどの程度従来の判例に沿ったものであるかについて、検討を行なうことは今後の課題としたい。しかしいずれにしても、判決には、こうした採用拒否が労働者の政治的意見表明を萎縮させ、ひいては民主主義を歪めるという視点はみられない。そして、大学においては批判的言論を許容することがとりわけ強く求められると思われるが、判決にはそうした視点もない。
なぜ採用拒否の理由を明示したのか
ところで、本件について筆者が疑問に感じたことは、なぜ大学は原告に採用拒否の具体的な理由を明示したのか、ということである。解雇とは異なり、採用拒否において一般的に使用者は志願者に理由を示す義務はない。大学は、理由を示さずに、もしくは「適性なしと判断した」といった抽象的な理由で採用を拒否できたはずである。もしそうしたならば、採用差別は顕在化せず、原告は採用拒否を争うことが困難になったはずである。大学は不注意にも真相を話してしまったのか。そうではなく、紛争リスクを承知の上で、あえて原告と左翼運動を威嚇すべく、採用拒否が政治信条に基づくものであると宣告したのか。それとも公務員採用における特有の義務があるのか。
筆者のこの疑問について、今回、原告に助言を行なってきたヴォルフガング・ドイブラー氏から解説をいただくことができた。
以下訳である。
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民間の使用者であれば、単純に理由なしで、もしく大雑把に「適性なし」として採用を拒否します。公務員については事情が異なります。基本法33項2項により、すべてのドイツ人は「適性、資格および専門的業績」に対応して公務にアクセスする権利を有します。当然ながらこれには余地があります。しかしベンヤミン・ルース氏の事例では、担当の講座主任教授が候補者であるルース氏の適性を肯定しています。そのため、大学が採用を阻止しようとするならば、政治的理由を説明する他ありません。
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基本法33項2項と担当教授の言明が重要ということである。しかしなおも疑問が残る。後者が欠けている場合はどうなるのか。つまり今回の事例で、もしミュンヘン工科大学が、日本の大学で通常行なわれているように、「志願者の適性」についての判断を最終的な採用決定まで留保しつつ、採用に向けた手続を進めていたらどうなっていたのか。その場合でも大学は採用拒否の政治的理由を明示する必要があったのか。
この点についてさらにドイブラー氏から解説をいただいた。
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もし、教授たちがすべての手続に参加し、かつ適性問題について本当に言質を与えないのであれば、日本のモデルをドイツでも行なうことは考えられます。実際には、多くの場合教授たちは、当該人物を共同研究者として望むがゆえに、もしくは政治的信条は重要ではないと考えるがゆえに、単純に自発的に適性を肯定します。そうするとベンヤミン・ルース氏について見られたような状況になります。
大学や行政にとって政治的理由を挙げることはむしろ問題のないものです。なぜならば、過去においても裁判ではほとんど大学や行政の主張が認められてきたからです。もし裁判所が異なる判断をするのであれば、日本で行なわれているような純粋な引き延ばし戦術も想定できます。
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ちなみに1970年代の就業禁止においても「憲法敵対的組織を支持している」などの理由が書面で通知されていた(注4) 。基本法33条2項の存在と裁判所による就業禁止の是認のもとで、こうした、おそらくはドイツ特有の、いわば「手続に則った採用差別」が行なわれてきた、といえるのかも知れない(注5) 。
なお、原告は判決の変更の見込みがないとの弁護士の所見に従い控訴していない。
(2025/1/14)
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*注3 基本法33条2項:「すべてのドイツ人は、適性、資格および専門的業績に応じて、等しく、すべての公務に就くことができる」。
*注4 イェッセ前掲書110。同書145頁はこういう。「拒否する場合に、志願者に対する保護がドイツほど強化されている国は、他に類をみない」。
*注5 ドイブラー氏は就業禁止自体が基本法33条2項に違反すると解釈している。Wolfgang Däubler, Stellungnahme zu den Grundsätzen zur Frage der verfassungsfeindlichen Kräfte im öffentlichen Dienst, in: Blätter für deutsche und internationale Politik 1972, S.130 –132/(ドイブラー氏のサイトからもダウンロード可/「Kampf gegen Berufsverbote」⇒「Aufsätze」)。