ヘルベルト・ヴィーデマン『交換関係及び共同体関係としての労働関係』を再読する(1)
米津孝司(中央大学教授)
ケルン大学の元学長で、労働法経済法研究所の所長であったヴィーデマン教授が、昨年10月に他界された。
1998年にWiedemann教授の後を継いで同研究所所長になったマーティン・ヘンズラー教授の古稀記念論文執筆のため、1966年に刊行されたヴィーデマン教授の教授資格論文『交換関係及び共同体関係としての労働関係』 (Das Arbeitsverhältnis als Austausch- und Gemeinschaftsverhältnis) をいま読み直している。
同論文は、ドイツにおける労働関係の法的性質論が、かつての人法的共同体理論から現在の通説である契約的債権債務関係理論へと変化するその転轍点において重要な役割を果たした。半世紀以上たった今日、日本においてはもちろん、ドイツにおいても引用されることはあまりない。
しかしながら、今回あらためて読み直してみて、日独の労働法学において、その豊穣な内容、とりわけヴィーデマン教授が従前のアモルフな(それゆえにナチスの民族主義に絡め取られてしまった)共同体(関係)理論を内在的に克服し発展させようとしたその含意が、未だ必ずしも十分に汲み尽くされてこなかったのではないか、との感を抱くようになった。
労働法における規範的根拠をめぐる議論において、個人の意思(自己決定、法律行為)に軸足を置くのか、それとも共同性(企業の秩序や慣行、信頼)に軸足をおくのか、という問題は、日本およびドイツの労働法学における主要テーマの基礎理論的な対立軸となってきた。
日本では、就業規則の法的性質や懲戒権の規範的根拠、協約の規範的効力、さらに解雇法理、指揮命令権をめぐる論争の背後には、この法原理的な対立軸がある。
ドイツにおいては、労働関係や一般的労働条件の法的性質をめぐる契約理論vs編入理論・共同体理論・信頼原則の対立を経て、おおむね今日では債権的交換関係として労働関係を理解し、信義則によって補完されつつも基本的には法律行為(契約)論的な根拠付を行う考え方が支配的となっており、日本でも同様の理論状況にあると言ってよい。
しかしながら、労働法において共同性や信頼といった法的構成原理は、今日もはや不要になったと言えるのかと言えば、例えば日本の就業規則の法的性質論は、定型契約説が有力化した今日においても、不利益変更法理を原理的に基礎づけることはできていないし、懲戒権の規範的根拠論も、契約説が有力化した今日もなお、未解明の部分を多く残している(契約法上予定されたサンクションでは不十分であることを実質的な根拠とすると説かれることが多いが、それは機能論にとどまる)。
私的自治(契約自治)が基本権上の根拠を持つ法原理であることから有利原則を強行法的なルールとしているドイツとは異なり、協約の両面的な不可変的効力を承認する日本の規範的効力論は、契約原理や保護原理によっては正当化不可能であり、共同体原理(企業共同体における社会自主法)による正当化としての色彩が濃厚である。
また、労働契約の要素たる賃金の中核部分がその埒外に置かれてしまった感のある有期労働者の均等処遇原則をめぐる最高裁判例を克服するには、改めて労働契約の本質論、とりわけ私的自治(意思原理)との対質が必要である。
人法的共同体関係理論など非契約的な規範的根拠論は克服済みであると受け止められているドイツにおいても、債権的交換関係としての性質決定と信義則によって労働関係の理論問題が解明し尽くされているかと言えば、例えば事業所慣行Betriebliche Übungの法的性質(事業所協定による不利益変更)をめぐって、近年、論争が再燃していることからもみて取れるように、労働関係の法的性質論における意思理論(契約論的根拠付)と共同体理論・信頼理論の対立は、いまだにアクチャルな問題であり続けている。
((2)へ続く)