JILPTにおけるドイツ労働法研究 (3)

(独)労働政策研究・研修機構(JILPT)労働法・労使関係部門 主任研究員
山本 陽大

カクテルのイラスト18◆研究成果について (つづき)

 さて、冒頭でも紹介した『新興感染症と職場における健康保護をめぐる法と政策-コロナ禍(COVID19-Pandemic)を素材とした日・独比較法研究』は、まさにこのような労働政策研究報告書(No.232)の1冊として刊行されたものである。
 前述の通り、筆者は第5期のP研において新興感染症と労働法を1つのテーマに研究を実施してきたが、その最終的な成果として執筆したのが、本報告書である。せっかくの機会なので、以下ではその概要について、簡単に紹介させていただきたい。

 2020年1月に始まったコロナ禍は、わが国の労働法・労働法政策に対しても様々な課題を提起したが、そのうちの一つに、職場という空間のなかで労働者をはじめとする人々がウイルスに感染することをいかに防止し、健康の保護を図るかという課題がある。
 具体的には、使用者が職場において適切な感染防止対策を講じるよう労働政策はどのように対応すべきか、また使用者が労働者に対し、感染防止対策(マスク着用やPCR検査、検温、接触確認アプリの利用等)の遵守、自宅待機や在宅勤務、コロナ禍での出社・出張、更にはワクチン接種を強制することはどこまで可能か、あるいは在宅勤務に関しては、労働者が使用者に対しこれを請求することか可能か等といった問題が挙げられる。
 これらの問題について、わが国では学説により解釈論上の検討は一定程度なされたものの、多くが日本法の検討にとどまり、また労働政策においては厚労省によりガイドラインやQ&Aの公表等といった取り組みが行われるのみで、立法による対応は行われなかった。
 これに対し、ドイツにおいては、上記一連の問題について、学説上活発な議論が展開されるとともに、少なからぬ部分について積極的な立法措置(特に、コロナ労働保護規則〔Corona-ArbSchV〕の制定・改正および感染症予防法〔IfSG〕の改正)が講じられた。もちろん、日本でもドイツでも、コロナ禍自体は既に収束しているが、しかし将来的にコロナ禍と同程度あるいはより深刻な新興感染症が登場する可能性は、ゼロとはいえないであろう。そうであるとすれば、コロナ禍がいったん落ち着いた今だからこそ、当時ドイツにおいて展開された解釈論・立法政策について分析を行い、それらを素材として日本法との比較検討を行うことは、今後の新たなパンデミックへの備えとして意義があるように思われる。

 以上が、本報告書執筆に当たっての筆者の問題意識である。そのため、本報告書では、上記一連の問題について、(立法)政策論だけでなく、比較法的考察に基づく解釈論の展開をも試みており、この点はこれまでにJILPTが刊行した労働法関係の労働政策研究報告書にはあまりみられない、本報告書の大きな特徴となっている。しかしながら、このような試みがどの程度成功しているか、もとより筆者には自信がない。この点は、ぜひとも本協会会員の皆様のご意見・ご批判を仰ぐことができれば幸いである(差し支えなければ、筆者のメールアドレス〔y-yamamoto@jil.go.jp〕にお送りいただけるとありがたい)。

 ところで、労働政策研究報告書をはじめ先ほど挙げた各公表媒体のほか、JILPTにおいては、書籍という形で研究成果を公表する機会もいくつか存在する。
 このようなものとしてまず挙げられるのが、「プロジェクト研究シリーズ」である。これは、P研により得られた研究成果のうち、JILPT内での一定の審査を経たものを各期の末(=5年目)に単行本の形で出版するものであり、いわば5年間の集大成として位置づけられるものである。
 筆者は、2022年3月に『第四次産業革命と労働法政策-“労働4.0”をめぐるドイツ法の動向からみた日本法の課題』を上梓したが、これは第4期プロジェクト研究シリーズの1冊として刊行されたものである。また、このほかにも、P研の枠内においては企画次第で書籍を出版することが可能であり、筆者が担当したなかでは、特に本協会会員の方々の目に触れている可能性が高いものとして、同じく2022年3月に刊行した『現代ドイツ労働法令集』が挙げられる。本書は、筆者の畏友(というか、呑み友達)である井川志郎先生(中央大学教授)、植村新先生(関西大学教授)および榊原嘉明先生(獨協大学教授)の手を借り、ドイツにおける主要な労働関係法令について邦語訳(+簡単な解説)を試みたものである。こちらについては、現在、改訂作業を進めている(なので、もしも誤訳に気づいたら、早めに上記メアドに連絡をください!!)。
 更に、上記2冊のようなP研の枠内で出版される書籍とは別に、JILPTには「研究双書」と呼ばれる研究書の出版枠もある。筆者も、この枠を利用して、自身の博士論文をベースに、『解雇の金銭解決制度に関する研究-その基礎と構造をめぐる日・独比較法的考察』を、2021年3月に上梓している。
なお、ここで挙げた3冊の書籍については、本コラムの第4回および第5回において、緒方先生に書評のような形で紹介いただいている。緒方先生には、この場を借りて改めて御礼申し上げるとともに、本協会会員の皆様におかれては、ぜひ併せてお読みいただければ幸いである。

◆以上で述べてきたところからもお分かりかと思うが、JILPT研究員を取り巻く研究環境は、本協会会員の方々の多くが所属しているであろう大学のような研究機関におけるそれとは、やや異なっている。正直なところをいえば、大学のような研究機関であれば享受できる自由が、JILPTにおいては制約を受けることが全くないとはいえない(筆者は、妻が大学教員であるため、大学の研究環境もある程度理解しているつもりである)。それゆえ、人によっては向き・不向きがあるかもしれない。
 しかし、筆者個人としては、そのような制約を考慮してもなお、JILPTは相当に恵まれた環境であるように思う。
 専門業務型裁量労働制の適用のもと、労働時間管理は各研究員に任されているし、講義や会議もほとんどといってよいほどない。また、研究の場所についても、東京・上石神井の事業所には研究スペースがあるが、コロナ禍以降は在宅勤務も認められている(筆者自身、普段は大阪に在住している)。研究のための予算についても、必要性が認められる限りは、十分な額を(煩雑な書類作成の手間なくして)確保することができる。
 また、前記の通り、図書館やデータベースは充実しているし、著書を出版する機会もある。そのほか、学会・研究会への参加・報告、論文・判例評釈の執筆、講演等のJILPT外における一労働法研究者としての活動も、基本的に全く自由であるし、人事評価との関係ではむしろ奨励されている。更に、研究面以外でも、ワークライフバランスのための各種休暇・休業制度は、国家公務員に関するそれに準じて整備されているため、とても充実している(筆者も息子が1歳~2歳になる年に、約1年間の育児休業を取得した)。かくも恵まれた(時には甘やかされた?)環境は、濱口桂一郎先生(現JILPT研究所長)をはじめ、研究職の上司・先輩方および事務職の方々ご尽力によるところが大きい。

 近年、日本の労働法全体のなかで立法政策が占めるウェイトが増えているなか、特に厚労省を中心とする政策立案プロセスにおいて、ドイツは比較研究の対象国としてますます欠かせない存在となっている。そのため、筆者が定年(現行制度のもとでも約20年後だが・・)等によりJILPTを離れることがあったとしても、ドイツ労働法を専門とする研究員は、JILPTにとって不可欠の存在であり続けるであろう。
 将来的に、本協会に所属する若手研究者が、このコラムを読んで、ドイツ労働法研究の場としてのJILPTに関心を持ってくれることがあれば、筆者としてこれほど嬉しいことはない。

(2025年7月8日)