「憲法敵対的」研究者に対する就業禁止Berufsverbot <1>
岩佐卓也(専修大学教授)
今回のコラムでは当初フォルスクワーゲン社の労使関係について書くことを考えていた。しかしドイツ渡航中に地理情報学を専門とする研究者であるベンヤミン・ルース氏と知り合い、テーマを大きく変えることにした。
氏は「憲法忠誠についての疑念」を理由としてミュンヘン工科大学に採用を拒否されたことをめぐって提訴し、先日判決が出された。これは現在のドイツにおける「就業禁止」(Berufsverbot)の一事例である。
就業禁止問題
戦後西ドイツでは、「憲法敵対的」であることを理由とする公務志願者の採用拒否および公務員の解雇が行われてきた。批判的立場から「就業禁止」といわれる (注1)。
就業禁止には19世紀からの歴史があるが、1972年1月にブラント首相と各州首相か決議した公務員採用の指針である「過激派条例」がよく知られている。これは68年運動に参加した学生たちの公務員への流入を阻止することなどを目的としていた。いわく、「憲法に敵対的な活動を行っている公務志願者は公務に採用されない。志願者が憲法敵対的目的を追求している組織に属しているときは、いかなる場合も自由で民主主義的な基本秩序を擁護するか否かについての疑念を根拠づける。その疑念は通常、採用申請の拒否を正当化する」。
戦後西ドイツは、ナチズムの教訓として「戦闘的民主主義」を採用し、基本法で「自由で民主主義的な基本秩序」を攻撃する人物や組織に対する権利制限を定めた(注2) 。しかし実際に憲法敵対者とされてきたのは右翼よりも左翼の活動家たちであった。過激派条例の影響については諸説があるが、連邦内務省の報告によると1973年1月から1975年6月の間連邦と各州を合わせた公務志願者数約43万人のうち3778人が調査対象となり、235人が実際に採用を拒否された。この場合にも主に対象となったのはドイツ共産党(DKP)の党員とその関係者であったといわれる。
不明にも筆者は、就業禁止の実践は冷戦時代の過去のものであると思い込んでいた。しかしそうではない。そこで、ここにその最新の事例を紹介するものである。
ちなみにルース氏は日本に在住経験があり、日本の労働運動や社会主義運動を学び、それをドイツに紹介することに強い意欲を持っている貴重な人物である。このことも、本事例を紹介したいと考える理由である。
ベンヤミン・ルース氏 ver.diのサイトより➤
事実の概要
ミュンヘン工科大学は被告バイエルン州を設置主体とする大学である。
2022年1月、同大学は「地図制作・ビジュアル解析講座」において研究・教育を行う研究員を公募した。契約期間は2年で更新可能であった。原告ルース氏はこれに応募した。
面接を経て、同年2月4日、担当教授は原告に次のようにEメールで伝えた。「私たちの内部の採決を経て、共同研究員をあなたとすることを決定しました。…3月には私たちのもとで開始できるよう努力します」。
採用に向けた手続として原告は「憲法忠誠に関する質問票」への回答を求められた。これに対して原告は、自身が現在も左翼活動家の裁判支援・救援組織であるRote Hilfeの構成員であり、またかつて左翼党学生組織(DIE LINKE.SDS)の構成員であったと回答した。質問票の付表において両団体は「左翼過激主義」の団体として掲載されていた。この回答を受け、大学はバイエルン州憲法擁護局に照会を行い、原告についての情報を得た。
4月27日、大学は原告に「憲法忠誠についての疑念」が解消されなければ採用ができない旨を伝えた。「憲法忠誠についての疑念」の根拠のひとつとして、大学は原告が2020年にネット上に発表した記事を取り上げた。
同記事はミュンヘン市議会選挙の結果を論じたものである。ミュンヘンには移民的背景をもつ住民が多くいるにもかかわらず候補者や議員にそれが反映されていない。そこで移民によって構成され移民の要求を擁護する選挙グループZuBa(Zusammen Bayern)が立ち上がった。その意義を強調した上で原告は、移民の要求実現のためには、議会や街頭だけでなく職場や大学に運動の基礎が必要であると説いた。そこで「レイシズムに対しては選挙の領域のみで闘うことはできない」として、記事の末尾では次のように述べた。
「同時に想起すべきは、ZuBaが提起している問題は資本主義レジームの制約内では答えられないということである。必要なことは、労働者自主管理に基づく経営の民主化と搾取と抑圧に対する政治ストの組織化である。まさにこの目的のための政党を設立することは、資本主義的レジームとの闘いにおいて最も優先すべきことである」
大学はこの記事から暴力の使用の主張が読み取れるとした。「選挙の領域のみで闘うことはできない」、「資本主義レジームとの闘い」、「労働者自主管理に基づく経営の民主化」-これらの発言はマルクス主義の教義に基づいて基本法上の所有権を否定し、暴力による転覆を含意している、と指摘した。大学は、指摘された団体に加入した動機、政治的目標を暴力によって実現することについての考え、社会主義的・共産主義的社会秩序への態度、「自由で民主主義的な基本秩序」に対する支持など、計6点の質問を原告に呈示した。
この通知を受けて原告はver.diの法律支援を利用し、弁護士ヘルタ・ドイブラー=グメリン氏を代理人とした。氏はシュレーダー政権の連邦司法大臣であり、夫は労働法学者のヴォルフガング・ドイブラー氏である。
6月20日、原告は大学に意見表明書を提出した。大学からの質問に回答して、原告は、ナチズムと闘ったRote Hilfeの弁護士ハンス・リッテンの活動に感銘を受けて同団体に加入したこと、自分は政治的目的のための暴力を拒否し暴力のない世界を支持すること、資本主義の限界を超えて思考することは、かつてアインシュタインも社会主義への支持を表明したように研究者としての自分の課題であること、連邦憲法裁判所も認めているようにマルクス主義は「自由で民主主義的な基本秩序」と矛盾するものではないこと-を述べた。また、自身の担当分野が「政治的に重要な分野」であり、学生の質問に対しては「私自身のマルクス主義的志向にかかわらず、科学的諸回答の全範囲を示すために努力する」と述べた。
8月22日、大学は総長名で代理人に不採用を通知した。理由は憲法忠誠についての疑念が解消されていないことであった。大学は、原告が「体制転換」を目指し、「ファシズム、レイシズム、資本主義、警察の暴力、警察の横暴などの、それによって現存秩序への敵対性が強調され、根拠づけられるような古典的な用語」を使用していることを指摘した。また原告が自身の担当を「政治的に重要な分野」とみなし、学生への質問に「科学的諸回答の全範囲を示すために努力する」としたことを根拠に、原告は「ミュンヘン工科大学において自由で民主主義的な基本秩序に敵対するマルクス主義的アジテーションをしようとする意図をもって、〔大学での〕活動を利用し、…授業で彼の見解を拡散しようと考えている」と述べた。
なお、原告が過去に具体的な暴力行為に及んだ証拠は示されていない。4月27日の大学からの通知では、バイエルン州憲法擁護局からの情報に基づき、2016年2月のデモの際原告が警察官を暴力的に襲撃したことが指摘され、そのことが「憲法忠誠についての疑念」の根拠の筆頭に挙げられていた。しかしその後代理人が州刑事局に照会し、指摘を裏付ける記録が存在しないことを確認し、その報告を6月20日の意見表明書に添付した。8月22日の大学からの不採用通知ではこの問題は触れられていない。(<2>へつづく)
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*注1 就業禁止についての邦語文献としては下記のものがある。西谷敏「西ドイツの労働事情2 ネオ・レッドパージ旋風」(労働法律旬報900号、1976年)、ローデリッヒ・ヴァースナー「西ドイツの公勤務における職業禁止について」(角田邦重訳、労働法律旬報955号、1978年)、水島朝穂「西ドイツにおける『就業禁止』問題と『政党特権』」(法の科学7号、1979年)、E.イェッセ『戦闘的民主主義』(小笠原道雄、渡辺重範訳、早稲田大学出版部、1982年)、山岸喜久治『ドイツの憲法忠誠 戦後から統一まで』(信山社出版、1998年)、川﨑聡史「『過激派条令』に見る西ドイツの民主主義理解 1970年代のヘッセン州を中心に」(歴史学研究1048号、2024年)。
*注2 基本法18条:「意見表明の自由、とくに出版の自由(第5条1項)、教授の自由(5条3項)、集会の自由(8条)、結社の自由(9条)、信書、郵便および電気通信の秘密(10条)、所有権(14条)または庇護権(16a条)を、自由で民主主義的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。喪失とその程度は、連邦憲法裁判所によって宣告される」。基本法22条2項:「政党で、その目的または党員の行動が自由で民主主義的な基本秩序を侵害もしくは除去し、またはドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する」。